岩手 平泉中尊寺
2003年4月
<入口> |
天台宗東北大本山。山号を関山といい、慈覚大師を開山(開基八百五十年)とします。12世紀のはじめ、奥州藤原氏の初代清衡公が多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営しました。その趣旨は前九年・後三年という長い戦乱で亡くなった人の霊をなぐさめ、仏国土を建設するものでした。
中尊寺は本寺の「中尊寺」と17箇所の支院で構成される一山寺院です。本堂は一山の中心となる建物で、ご本尊は阿弥陀如来。古来からの法要儀式の多くは、ここで一山の僧侶が出仕して行われます。 |
<金色堂> |
金色堂は天治元年(1124年)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構です。皆金色の阿弥陀堂で、内部の装飾に目を奪われます。四本の巻柱や仏壇(須弥壇)、長押まで、白く光る夜光貝の<らでん>細工・透かし彫りの金具・漆の蒔絵と、お堂全体があたかも一つの工芸品の感がします。仏像は本尊阿弥陀如来、その前に蓮を持っているのが観音・勢至菩薩。左右に三体ずつ列立する六地蔵、みな円満な相好です。最前列が持国天と増長天です。そして中央の須弥壇のなかに初代清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右に三代秀衡公のご遺体と泰衡公の首級が納められています。 資料 |
<重要文化財経蔵> |
創建時の経蔵は、「供養願文」には「二階瓦葺」とある。建武四年(1337)の火災で上層部を焼失したと伝えられてきたが、古材をもって再建されたものであろう。荘厳は歳月に洗い流され、金色堂とは異なった趣がある。本尊は騎師文殊菩薩像。経棚にあった紺紙金字一切経(国宝)は、讃衡蔵に保管。 このアングルが秋になると紅葉がきれいで有名なのだそうです。 |
<鐘楼> |
康永二年(1343)に鋳造された梵鐘が納められています。この梵鐘には建武四年(1337)の火災で、中尊寺諸堂が焼失したことが刻されており、中尊寺史を知る上で重要な史料となっています。 |
<西行歌碑> |
桜に魅せられて数多くの桜の歌を詠み、
願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ
の歌を残した西行は、京都の東山に見立てた束稲山の桜を称え
ききもせずたばしね山のさくら花よしののほかにかかるべしとは
の一首をしたためた。 東物見の一角に、この歌を刻む石碑がある。 |
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